テレビ(テレビジョン)の生い立ちの歴史は古く、実は、電話やラジオの誕生よりもずっと前から考えられていました。
《テレビの語源》
正式にはテレビジョン(television)といい、ギリシア語の「離れて」という意味のteleとラテン語の「見る」という意味のvisionとが合成されたものです。日本では略して「テレビ」といいますね。
最初に、画像を電気的に送る方法を発明したのは、1842年イギリスのベインです。金属でできた文字を電極でなぞり、受信側では、金属の文字の部分だけ電流が流れるのを利用して、紙にぬられた薬品を電気分解して文字を浮かび上がらせました。
しかし、このベインの方法は、テレビというよりも絵や文字を送る、いわばファクシミリのようなものでした。
では、動く物体の映像を送るにはどうすればよいのでしょう。
それには、眼の残像時間内に映像を電気信号に変えて、次から次へととても速く送り、そして、送られてきた電気信号を再び元の映像にもどさなくてはなりません。
今のテレビは、カメラの中にある撮像管とよばれる撮影装置で映像を電気信号に変えて送り、送られてきた信号をブラウン管で元の映像として映し出しています。
しかし、100年ほど前は、やっと電話が発明されていた時代で、撮像管やブラウン管もまだ発明されていませんでした。現在ではあたりまえになっている電気製品も、当時はほとんどなかったのです。それでも、人々はなんとかこの夢のようなテレビを作ろうと、大変な努力を続けてきました。
19世紀の終わりごろには、映像を読み取ったり映し出すのに、機械的方法を用いて、不完全ながらも映像を送ることに成功しています。また、1925年イギリスのベアードは実用的なテレビを発明し、早くも、1929年にはイギリスBBC放送でこのテレビの実験放送が行われました。しかし、まだブラウン管を使っていなかったので画質がよくなかったのです。
ニポー円板によるテレビ1884年ドイツのニポーは穴のあいた円板(ニポー円板)を用いたテレビを作った。円板をモーターで回し、穴からさしこむ光を光電管(光を電気信号に変える)で読み取って送信し、受信側では、送られてきた信号を増幅して電球を点灯して像を作った。ぼやけた、影絵のような映像しか得ることができないものだった。
それまで、モーターなどを使って機械的に映像を映し出そうとしていましたが、それでは、一枚の映像を作るのに時間がかかるし、速くしようとすると、今度はきれいな映像が送れませんでした。これを解決するには、全く機械部分のない、電気的方法で映像を映さなければならなかったのです。
今のようなテレビが、考えられ始めたのは1920年代になってからです。
そのころ、すでに発明されていたブラウン管を利用すればよいことがわかってきました。
1897年ドイツのブラウンが発明した。電子銃から発射された電子は、コイルの磁力により、自由に曲げられ、けい光面に当たって光るようになっている。最初は、波形の測定用に利用された。
当時、日本でもテレビを作ろうと、いろいろな研究が続けられていました。1927年に高柳健次郎が、世界で初めてブラウン管を使った受信実験に成功しています。このとき映し出されたのが「イ」の文字だったのは有名な話です。
また、1933年にアメリカのツウォルキンがテレビカメラに使う「撮像管」を発明し、今のテレビの原形ができあがりました。
その後も、多くの改良が加えられ、1937年にイギリス、1941年にアメリカ、そして1953年(昭和28年)に日本でそれぞれ放送が始まったのです。
このようにして、多くの人々の努力の結果、テレビができ上がりましたが、そのおかげファクシミリや写真を送る技術など、新しい通信技術の発展につながっていきました。
《日本のテレビは外国でも使えるの?》
今では、世界中でテレビ放送が行われていますが、実は、国によってちょっと信号の送り方にちがいがあります。
日本やアメリカなどは同じ方法ですが、ヨーロッパなどではちがう方法ですから、日本のテレビやビデオはヨーロッパでは使うことができません。
このようにそれぞれの国によってちがいがあることは結構多いので、調べてみるとおもしろいかもしれませんね。