環境によって生物が変わるの?

1859年、イギリスのダーウィンは「すべての生物は、同じ種でも少しずつ違った形や性質を持ったものが生まれるが、生活に有利な、最も良く環境に適応した個体が生き残り、多くの子孫を残していく。やがて長い年月をかけて、もとの種とは違う新しい種が生まれる。」ということを書いた『種の起源』を出版しました。

 

これが有名なダーウィンの自然選択説です。

 

彼は22歳のとき、イギリス海軍の測量船ビーグル号に乗り組み、5年間にわたって世界各地の動物や植物、地質の研究を行いました。そしてそのとき立ち寄ったガラパゴス諸島で、自然選択説を完成させる決定的な事実を見つけました。

 

ガラパゴス諸島は大小16あまりの島々からなる赤道直下の群島ですが、これらの島に住むヒワやゾウガメなどの生物は、確かにもとは同じ一つの種であったにもかかわらず、海に隔てられ別々な環境で暮らしているうちに、いつの間にかそれぞれの島の環境に適応し、まったく違った形や性質を身につけるようになっていました。

 

この諸島に流れ着いたヒワは、初めは一つの種でしたが、食料が乏しい中、ある島では昆虫を食べ、他の島では草の実を食べていくうち、たまたま他のものよりくちばしが細長かったり鋭かったりすることでエサを得やすく、生き残る確率が高くなりました。

 

そして生き残ったものの子孫はさらにその性質を強め、島ごとに特定のくちばしのヒワがふえていき、やがてガラパゴス諸島では、はっきりとくちばしの形が違う13種類ものヒワがそれぞれの島に住み着くことになったのです。

 

ダーウィンがこの進化論を発表した当時、聖書では、人間は神が自分の姿に似せてつくった特別な生き物とされ、多くの人々にもそう信じられていました。それため、全ての生物が自然選択説のもとに進化したという彼の説は、イギリスだけではなく西欧世界全体に大反響を巻き起こしました。

 

 

《生きていたシーラカンス》

1938年12月22日、南アフリカ共和国の南、イーストロンドンという小さな港町で、奇妙な魚が網にかかりました。この町の博物館員ラティマーは、漁業会社からの依頼を受けてその魚を見に行きましたが、長さ1.5mくらい、青色の大きなうろこで全身が覆われ、今まで全く見たことがない魚です。彼女はその魚のスケッチを魚類学者のスミス氏のもとに送りました。

 

このスケッチを見たスミス氏はたいへん驚きました。なぜなら、それは今から約4億年前に出現し、約6500万年前に絶滅したと考えられたシーラカンスにそっくりだったからです。

 

彼はただちに現地に向かい、その死がいを調査してシーラカンスの一種であることを確認し、その博物館員の名にちなんでラティメリアと名づけました。そして、さらに懸賞金をかけてこの魚を探させた結果、14年後にアフリカ東海岸とマダガスカル島の間にあるコモロ諸島で二つめの個体が捕獲されました。

 

その後現在まで、ラティメリアは数十体見つかっています。

シーラカンスとはどんな生物だったのでしょう。

 

約3億6千万年前、海の中で栄えていた魚が肺を持ち、初めて陸に上がった、それがシーラカンスのなかまでした。

 

そこからやがて両生類がうまれ、長い年月をかけて恐竜やわたしたちヒトなど、陸上のセキツイ動物も現れたと考えられています。

 

シーラカンスは恐竜と共に絶滅したと思われていましたが、その一種のラティメリアは、アフリカ大陸の南東の深海で現代まで生きていたのです。このラティメリアは、環境の変化が少なく、競争相手もあまりいない深海へと移り住んだので、今まで生き残ることができたと考えられています。

 



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